2023年3月29日
弁護士 荒井新二
1 捜査機関による捏造
この3月20日袴田さんの再審が漸く開かれることになった(東京高裁・検察官の抗告断念)。漸く、と言うのは次の事情を指してのことだ。2014年になされた静岡地裁の再審開始決定に検察官が即時抗告し、あろうことか東京高裁がこれを容れ、ところが最高裁がこれを取消して東京高裁に差戻した後、漸く本年3月13日の高裁による再度の再審開始となった。この間9年かかったが、袴田さんは現在87歳という年齢である。後期高齢者の私が最近感じることは、老人は生きてきた寿命でなく余命で年齢を計算するということである。国(検察と差戻前の東京高裁)は袴田氏の貴重な残された時間を残酷に奪ったことを強く反省すべきである
東京高裁の今回の決定は、味噌タンクから事件発生後1年余過ぎて発見されたという着衣と袴田氏の繋がりを否定した。この着衣は最大にして唯一の有罪証拠であったと言われる。その着衣を、それでは誰が味噌タンクに入れ、また「発見」したか。高裁は、今回踏み込んで「事実上捜査機関による可能性が極めて高い」と断罪した。非常に重い判断である。
時間稼ぎと思われる抗告が許され再審が長期化すること、着衣関係の証拠が確定判決後もながい間隠匿されてきたこと、これらは再審手続制度の欠陥を余すことなく示す。日弁連の提起する再審法の法改正は、袴田事件の無罪確定とともに早期に実現すべき課題である。
そのうえで、もうひとつ法制度上の大きな問題があると思う。死刑制度である。
2 4大再審死刑無罪事件、とくに免田事件について
袴田事件は、死刑判決で再審で無実とされる5番目の事件である。免田事件(83年無罪)、財田川事件(84年)、松山事件(84年)、島田事件(89年)の無罪確定4事件に次ぐものだ。袴田事件が無罪になれば5度目の死刑台から生還となる。このなかで袴田事件は50年にわたる裁判の過程で同氏が重篤な精神的なダメージを負ったという点で、他にみられぬ特徴がある。私はかって金聖雄監督のドキュメンタリー映画「夢の間の世の中」を観てショックを受け、袴田氏の獄中詩集を急いで手にしたことがある。もとボクサー・チャンピオンの逞しいイメージから別人物の様な明晰さと高遠な心性がそこには綴られており、映像との落差の鮮明さに、私はもう一度強い衝撃を受けたことがある。
死刑囚に加えられる処遇は、「心情の安定」という理由から情報が開示されないこともあって、世に知られることは少ない。再審と死刑の処遇過程の改善と透明化も論議して法改正に繋げていくべきだと思う。
4事件の最初である免田事件の具体的な模様については、昨年1月に出された高峰武著『生き直す 免田栄という軌跡』(弦書房)という本に、その処遇の具体的なあり方が明らかにされ参考になる。そのなかに載っていた死刑判決確定後の親族に対する刑務所からの通知の写真、ー父親の免田栄策氏あて通知(52年1月14日付)の一部を掲げる。
免田 栄/右の者は当所に収容中でありますが今度死刑確定致しましたので執行された時には屍体を引き取られますか、若し家庭の事情に依り屍体の引取が出来ず火葬に附し遺骨のみ受取られる場合は火葬料金(七百円位)を支払っていただきます。
このあと、九大医学部での死体解剖に関する言及に続くのだが、免田氏がもはや、ひとりの人間でなく単なるモノとして見なされていることがこの文章から分かる。免田氏の親族の心中、いかばかりか。
また免田氏は70人程の死刑囚を在獄中に見送ったらしい。死刑は、当日早朝に刑務官らが舎内に来て数時間後の執行を告げて行われる。死刑囚は、房内で鎮座して告知する刑務官らの列が自分の舎房の前で止まるか、行き過ぎてくれるかを固唾を飲んで待つと言われる。心の緊張が張り裂けそうな恐怖の瞬間を免田氏は何度も体験した。
さらにこの本には再審開始が決まった場面の一節が書かれている。
「死刑台に連れていく(役目の…引用者)看守の方々が、次から次に来てドアを開けましてね。『免田 よかったな。お前を殺さんでよかった。悪く思うな』と激励してくれました」
看守達の「お前を殺さんでよかった」の述懐は真情であろう。執行は職務であれ、それに従事する人、その周辺にある人たちの良心への仮借ない仕打ちにもなる。冤罪は、死刑事件特有の問題ではないが、死刑事件の場合、真に取り返しのつかない間違いである。死刑制度は人間が立ち入ってはいけない境域に建てられたシステムであること、袴田事件を機にこのことに謙虚に想い致す時がきたと私は思う。
3 死刑廃止の国民的な論議を
で、袴田事件での先の「捜査機関による可能性が極めて高い」の高裁判示のことである。被害者家族5人の袴田事件で有罪になれば、死刑とされる蓋然性が極めて高い。着衣を味噌タンクに投げ入れた捜査従事者は、有罪証明に過度に過ぎるほど熱心であったと思われるが、換言すれば、それは袴田氏をターゲットにして有罪、すなわち死刑に処するためのニセの証拠作りをしたことにならないか。このニセの証拠がなければ袴田氏の有罪はなかった筈とも言われる。端的、論理的に言えば、死刑制度を利用した殺人、と言えなくもない。
今日先進国の大多数は死刑廃止もしくは運用停止と言われるが、イギリスにおける死刑廃止のきっかけになったひとつに「リリントン・プレイス・エヴァンズ事件」がある。これはBBC放送で実相に沿ったドラマが放映されたので、観られた方もおられよう。連続殺人犯が自ら犯した殺人の罪をその被害者らの夫エヴァンズ氏になすりつけ、刑事裁判(陪審)で進んで偽証し、真犯人の殺人を主張する夫を有罪にさせ、夫は死刑にされたという事件である。この場合、真犯人は自己の罪責を逃れ事実を隠ぺいずるため、被害者の夫を犯人に仕立て上げ、同時にそのことによって無実の夫を死に追いやったと言える。死刑制度が利用され、真犯人が無実の者を殺し永遠にその口を塞いだ、というものだ。死刑制度が結果的に何重にも悪用された例と言えよう。この誤判と結果のおぞましさに英国民が驚愕し、これがひとつのきっかけになって死刑制度に対する疑念が広がり、紆余曲折があったものの最終的な廃止に至った。
東京高裁が言うように袴田氏を犯人にするため着衣証拠を捏造したことは、客観的に観察すれば無罪の袴田氏が有罪→死刑のリスクに陥るように捜査機関が試みたと言うことでもある。そうであれば、死刑制度を利用した殺人がひとたび企図されたこととなる。エヴァンス事件と同質の問題がここに存在すると言ってよい。
死刑制度には、被害者家族のケアを制度的に保障するシステムの保障、死刑事件の裁判改善など現実にすすめることが不可欠であると思うが、袴田事件に関連して、再審法改正を目指すとともに、死刑制度の論議が真剣に行われることが強く期待される。