トピックス

2023.04.28更新

 当事務所の泉澤章弁護士執筆の記事が4月17日付全国商工新聞に掲載されました。

 記事のタイトルは『視点 袴田事件から見る再審制度』。先月3月13日に東京高裁が出した再審開始の決定に対して、検察が最高裁に不服を申し立てるかどうかが注目されました。結果的に検察は特別抗告を断念しましたが、2014年に静岡地裁が袴田さんの再審開始を認めた際、検察が不服を申し立て、東京高裁で袴田さんは逆転敗訴し、最高裁が東京高裁の不当な決定を取り消して今回の再審開始決定がなされるまでに9年もの歳月が経ってしまいました。名張毒ぶどう酒事件のように再審開始決定が出たのにも関わらず請求人が亡くなってしまう例もあり、検察の不服申し立ては現行の再審制度の深刻な制度的欠陥となっています。

 また泉澤弁護士は、現行の再審制度には検察・警察が持っている証拠の開示制度がないことを指摘し、えん罪被害者にとって不可欠な証拠開示の制度の早期実現をうったえています。

【全国商工新聞とは】(https://www.zenshoren.or.jp/kiji)

 北海道から沖縄まで、全都道府県地域密着の約600の民主商工会でつくる全国商工団体連合会発行の新聞です。会員はさまざまな業種の事業主で、小規模な事業を営む事業主の方なら、業種にかかわりなくご入会いただけます。全国商工新聞は商売に役立つ情報やインボイス反対の運動など様々な情報を発信しています。

投稿者: 東京合同法律事務所

2023.04.15更新

 思いがけず手術することになり、4月初旬から一週間ほど入院した。コロナ禍が少し落ち着き病室も多少空きが出てきたらしく、個室も空いているということだったので、奮発して個室を予約した。大学生のときに扁桃炎をこじらせて以来の入院だったが、当時の病室(このときは4,5人部屋だったと思う)とは雲泥の差で、とても快適だった。
久しぶりの入院で感じたのは、やはり医療の現場で働いている人たちの私たち患者に対する献身さ、そしてそれと比例するであろう仕事の過酷さだった。深夜1時ころ、そうっと部屋に入ってきて小さな懐中電灯で点滴を確認している看護師さんの姿は、幼いころ、風邪を引いて寝込んでいる私の水枕を深夜に替えてくれた母の姿と重なった。仕事とはいえ、こんな真夜中に患者の様子をひとりひとり確認してゆくのは心身ともにきついだろうな、私なんかにはとてもできないだろうな、と独り言ちながら寝入った。
コロナ禍が猛威をふるってから、エッセンシャルワーカーという言葉が巷で流行り言葉のように広がった。厳密な定義はないらしいが、重要な社会インフラにかかわる仕事、つまり、「それがなくては社会が成り立たない仕事」を意味するらしい。コロナ禍において医療従事者は、自らもコロナ感染による生命の危機にさらされながらも、患者が生き延びるために必要不可欠な存在として日々職務を遂行していた。その仕事に従事する者がいなければ生命が危うくなり、社会も成り立たないという意味で、医療従事者は文字どおりのエッセンシャルワーカーである。私も含め、世間はコロナ禍が少しずつ落ち着いてくるとその価値を忘れがちだが、自分が自由のきかない患者という立場になって、あらためて医療に従事する方々がエッセンシャルワーカーであることを実感した。
医療従事者以外にエッセンシャルワーカーとしてあげられるのは、運送業従事者、スーパー等の日用品食料販売業者、清掃業者、農林業従事者、製造業従事者などである。仕事の内容を考えれば、確かに「それがなければ社会が成り立たない」仕事に従事する人たちといえる。さて、それでは私たち弁護士はどうか。コロナ禍でいっとき裁判のほとんどが休止したとき、多くの弁護士がそのことを考えたのではないかと思う。しかし、コロナ拡大による自粛の雰囲気も緩んで人の行き来が再開し、裁判も徐々に再開され始めると、自分の仕事の存在意義など考えている暇も無くなっていた。今回入院して時間ができ、エッセンシャルワーカーの仕事と接して、あらためて自分が従事する弁護士という仕事について考えてみた。
詩人宮沢賢治の代表作として良く知られた「雨ニモマケズ」に、「北ニケンクワヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」(北にケンカや訴訟があればつまらないからやめろと言い)という一節がある。賢治から見れば、ケンカと訴訟は同じような「つまらない」もので、やめるべきものと映っていたようだ。賢治にすればそんな「つまらない」訴訟を生業とする弁護士の仕事は同じように「つまらない」ものだろうし、それがなければ社会が成り立たない仕事とは、到底思えなかったに違いない。平和主義者で宗教にも傾倒していた賢治だからそう考えていたと言えなくもないが、経験的にいえば、今もほとんどの人たちは「自分は訴訟などと一生無縁だ」と考えているように思われる。つまり、今も弁護士の生業の一つである訴訟は、ほとんどの人たちの人生に関係のない、「つまらない」ものであって、「それがなければ社会が成り立たない」仕事などではない。確かに、コロナで数カ月裁判などなくても社会は普通に成り立っていた。混乱はほぼ無かったと言っていい。飛行中の機内で急病人が出てCAが「お医者様はいらっしゃいませんか?!」と叫ぶことはあっても、どこかで何かが起きて「弁護士はいらっしゃいませんか?!」と叫ばれることはまず無い。
要するに、弁護士の扱う業務は社会の存立にとって必要不可欠なものとは言えず、弁護士はエッセンシャルワーカーではない。
もっとも、弁護士がエッセンシャルワーカーではないからといって、卑下すべき存在というわけではない。「つまらない」争いごとに介入してお金を得るだけではなく、ときにはその知恵を使うことによって、強い者から理不尽にやられている弱い者を助けることもできる。そのとき弁護士の存在は、社会の中で少しだけ輝きを見せるのではないだろうか。入院の直前、私が生まれた年(1966年)に発生した事件で逮捕起訴され死刑が確定した袴田巌さんについて、再審(やり直しの裁判)が開始されるというニュースに接した。数十年にわたって死刑の恐怖のもとで生きてきた袴田さんを、どうにかして救おうと知恵を絞ってきた同僚、先達たちの努力に感服した。こういう仕事も弁護士の生業の一つであることに誇りと希望を持ちたい。たとえエッセンシャルワーカーと呼ばれることはなくとも。
弁護士 泉澤 章

投稿者: 東京合同法律事務所

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