東京都港区の公共賃貸住宅で2006年6月3日、都立小山台高校2年生だった16歳の高校生がエレベーターに挟まれて死亡した事件の損害賠償請求訴訟について、11月24日東京地方裁判所で和解が成立しました。
裁判所は、9月27日に次のような異例の和解勧告を行っていました。
① 被告ら(製造・保守したシンドラー社、保守した日本電力サービス社とSEC社、所有した港区、管理した港区住宅公社)が、本件エレベーターに関与した者として、何の落ち度もなく、わずか16歳でこの世を去ることになった被害者とその遺族である原告の無念の思いを重く受け止め、深く遺憾の意を表することが不可欠である。
② 被告らは、戸開走行事故はひとたび発生すると利用者が挟まれ生命身体に危険を及ぼす重大事故につながるおそれがあることに改めて思いを致すとともに、その社会的・道義的責任を果たすべく、互いに協力し合って、不断の意思をもってエレベーター事故の再発防止のために全力を挙げて取り組んでいくことが求められる。
③ 原告及びその弁護団・支援者が再発防止のために果たしてきた役割に敬意を表する。被告らが原告に対して相当額の和解金の支払をすることと、原告はこの和解金の一部を拠出して基金を設立し、取組みを継続していくことを提案する。
和解にはこの和解勧告が盛り込まれ、さらに、シンドラー社、SEC社、港区の具体的な再発防止対策の履行が盛り込まれ、和解に付随して港区が原告に詳細な再発防止対策等を確約する覚書が調印されました。
原告の市川正子さんは、この和解は終点ではなく、エレベーターの安全・再発防止のために16歳の息子の命を生かすための一歩と話しました。
当事務所の樋谷賢一弁護士と私が弁護団の一員として活動しています。
和解の内容は次のとおりです。
前 文
原告と被告らは,当裁判所の平成29年9月27日付け別紙「和解勧告」の趣旨を踏まえ,以下の和解条項のとおり,本件を和解によって解決することに合意した。
和 解 条 項
1 被告らは,本件エレベーターに関与した者として,何の落ち度もなく,わずか16歳でこの世を去ることになった市川大輔とその遺族である原告の無念の思いを重く受け止め,本件エレベーターにおいて戸開走行事故が発生し,これによって市川大輔が亡くなったことについて,深く遺憾の意を表する。
2 被告らは,本件事故を教訓とし,戸開走行事故はひとたび発生すると利用者が挟まれ生命身体に危険を及ぼす重大事故につながるおそれがあることに改めて思いを致すとともに,それぞれが置かれた立場から,その社会的・道義的責任を果たすベく,互いに協力し合って,不断の意思をもってエレベーター事故の再発防止のために全力を挙げて取り組んでいくことを確約する。
3 被告シンドラーエレベータ株式会社は,日本国内で稼働しているシンドラー社製エレベーターの安全を維持するため,オーチス・エレベータサービス株式会社に対し,次の事項を履行するものとする。
⑴ 日本国内のシンドラー社製エレベーターの保守,修理,改修の手順及び方法に関する情報ないしサービスの提供
⑵日本国内のシンドラー社製エレベーターの調整手順及び方法に関する情報ないしサービスの提供
⑶ 日本国内のシンドラー社製エレベーターのアップグレード指図
⑷ オーチス・エレベータサービス株式会社が,日本国内のシンドラー社製エレベーターを保守するために必要な資料,冶工具,機材へのアクセスの提供
⑸ 日本国内のシンドラー社製エレベーターを保守及び修理するために必要な部品へのアクセスの提供
4 被告エス・イー・シーエレベーター株式会社は,次の事項を履行するものとする。
⑴ エレベーターの維持管理や点検に関する全ての法令及び国士交通省が平成28年2月19日に公表した「昇降機の適切な維持管理に関する指針」及び「エレベーター保守・点検業務標準契約書」の内容を確認し,毎年社内に周知徹底する。
⑵ 保守点検時にエレベーターの故障・不具合に対応した場合には,写真や実測データ等を付すなどして,不具合の状態が分かるような故障報告書を作成し,所有者又は管理者に提出する(ただし,軽微な不具合は除く。)。
⑶ 保守点検員が必要な技術・知識を身につけるように継続的な教育を実施する。
⑷ 保守点検業務を受託している既設のエレベーターについて戸開走行保護装置の設置状況を把握し,未設置の場合には,所有者・管理者に対して設置に関する検討を要請する。
⑸ 自社製のエレベーターに関しては,戸開走行保護装置の更なる品質・機能性の向上を追求する。
⑹ 事故発生の通報受信時の確認事項及び初動体制・救助体制等を定めた社内マニュアルを整備し,手巻きハンドル等の救助装置の設置状況を確認する。
5 被告港区は,次の事項を履行するものとする。
⑴ 被告港区が所有又は管理するエレベーターの維持管理や点検に関する全ての法令及び国土交通省が平成28年2月19日に公表した「昇降機の適切な維持管理に関する指針」及び「エレベーター保守・点検業務標準契約書」の内容を確認し,毎年周知徹底する。
⑵ エレベーター事故の再発防止策に係る取組みについて原告との連携の強化を検討する。
6 略
7 原告と被告らは,前項の内容について,相当額の和解金が授受され,その一部で基金を構成したことを除くほか,正当な理由なく第三者に口外しないことを確約する。
8 原告は,その余の請求を放棄する。
9 原告及び被告らは,原告と被告らとの間及び被告ら相互の間(ただし,被告エス・イー・シーエレベーター株弍会社と被告港区との間を除く。)に,本件(第6項による和解金の求償関係を含む。)に関し,本和解条項に定めるもののほか,何らの債権債務のないことを相互に確認する。
10 訴訟費用は,各自の負担とする。
以上
平成29年9月27日
和 解 勧 告
東京地方裁判所民事第6部
裁判長裁判官 岡崎克彦
裁判官 舘野俊彦
裁判官 木村周世
1 事案の概要等
本件は,平成18年6月3日,当時高校2年生であった市川大輔(ひろすけ)が,自宅のある「シティハイツ竹芝」に設置されていたエレベーターから降りようとしたところ,エレベーターが突然上昇し,かごの床面と乗降口の枠の上部との間に挟まれて亡くなったという誠に痛ましい事故について,市川大輔の母である原告が,エレベーターに欠陥があり,また,適切な保守管理がされていなかったなどと主張して,エレベーターを製造した被告シンドラーエレベータ株式会社,保守点検業者である被告エス・イー・シーエレベーター株式会社及び被告株式会社日本電カサービス,所有者である被告港区,施設の保守管理を担当していた被告財団法人港区住宅公社に対し,総額2億5000万円の損害賠償を請求する事案である。
本件訴訟は,平成20年12月12日に訴えが提起されたが,原告の請求を基礎づけるための資料が原告の手許になく,事故原因の分析には高度な専門的知見を要することなどから,原告は,平成25年3月に第1回公判が始まった刑事訴訟の記録及び検察官の主張に依拠して民事訴訟における主張立証をするという方針を採ることを余儀なくされ,刑事訴訟の進行を待って民事訴訟の審理を進めることになったため,異例の長期裁判となっているが,本日,ようやく弁論を終結するに至ったものである。
2 当裁判所が和解を勧告する理由
当裁判所は,既に判決に向けた準備を始めており,本件について,裁判所が判決により法的判断を示すことは,意義のあることと考えている。
しかしながら,判決によって本件を終局させる場合には,いくつかの限界があることも否定できない。
第1に,判決に対しては,上級審に不服申立てをすることが可能となり,本件が事件として終了するまでには,なお相当の期間を要するものと考えられる。本件は,既に事故から11年,訴え提起から8年以上が経過しており,この間,市川大輔の父であり本件訴訟の原告であった市川和民は,結論を見届けることなく亡くなった。その後,一人で本件訴訟を追行してきた原告の辛苦は察するに余りあるものであり,今後更に本件訴訟が継続することは,耐え難いものと推察される。こうした事情に鑑みると,できる限り早期に本件を妥当な内容で終了させる必要があることはいうまでもないところである。
第2に,判決は,手続上,原告が請求する損害賠償請求権の存否に限定して法的判断をするものであって,事故原因の究明自体を目的とするものではなく,まして将来の再発防止に言及するようなものにはなり得ない。本件では,当事者双方から多数の事実上,法律上の困難な問題点を含む主張がされている中で,判決は,提出された限られた証拠を踏まえ,損害賠償請求権を発生させるための要件について必要な証明がされているか,またどのような法律上の解釈を採用すべきかといった技術的な内容にならざるを得ない。本件訴訟は,金銭の請求という形式を採っているものの,原告が本来求めているのは,事故原因を究明するとともに,究極的にはエレベーター事故の再発防止にあるものと考えられ,判決がこうした原告の要請に十分に応えるものとなるかは,疑問なしとしないところである。
これに対し,和解においては,本件事故の教訓に学び,被告らの社会的・道義的責任をも踏まえつつ,将来の再発防止とエレベーターの安全確保に向けた妥当な解決を得ることができるという大きな利点があるものと考えられ,当裁判所は,本件について早期に適切な解決を図るには,和解によるほかないものと確信するものである。
以上のような見地から,当裁判所は,これまで約半年間にわたって当事者双方に和解による解決を打診し,各当事者の意見聴取を重ね,調整に努めてきており,合意に向けて前進しつつあるが,なお,合意には至っていない。そこで,当裁判所が考える和解の方向性について述ベておくこととする。
3 和解の方向性
⑴ 被告らの遺憾の意の表明
まず,当裁判所は,被告らが,本件エレベーターに関与した者として,何の落ち度もなく,わずか16歳でこの世を去ることになった市川大輔とその遺族である原告の無念の思いを重く受け止め,本件エレベーターにおいて戸開走行事故が発生し,これによって市川大輔が亡くなったことについて,深く遺憾の意を表することが,和解による解決においては不可欠であると考える。このような被告の意思表明は,これまでの原告からの意見聴取の中で,原告が最も重視する要素であるということができ,当裁判所としても,将来に向けてエレベーター事故の再発防止に重点を置いた解決を図る前提として,被告らにこれを受諾するよう提案するものである。
⑵ 被告らの社会的・道義的責任に基づく再発防止への取組み
次に,被告らは,本件事故の後に,それぞれの立場で再発防止策を講じてきたものであり,その内容は,これまでの和解協議の中で明らかにされた。これに対し,原告からは,その限界についても指摘がされたところである。被告らは,本件事故を教訓とし,戸開走行事故はひとたび発生すると利用者が挟まれ生命身体に危険を及ぼす重大事故につながるおそれがあることに改めて思いを致すとともに,それぞれが置かれた立場から,その社会的・道義的責任を果たすベく,互いに協力し合って,不断の意思をもってエレベーター事故の再発防止のために全力を挙げて取り組んでいくことが求められる。被告ら自身が,再発防止に取り組み,その社会的・道義的責任を果たしていくことを表明することもまた,原告が重視する要素であり,当裁判所としても,被告らにこれを受諾するよう提案するものである。
⑶ 被告らによる和解金の支払と原告の再発防止活動の支援
原告及びその弁護団・支援者は,本件事故の後,署名活動をはじめ,シンポジウムや講演会,行政庁への働きかけなどを通じて,エレベーターの安全・安心の重要性を啓発する活動を続けてきており,エレベーター事故の再発防止に向けた関係機関の検討や事故原因究明のための中立的機関の創設等において多大な尽力をしてきたものである。原告らのこうした活動が契機となって,平成21年9月には,新設エレベーターに戸開走行保護装置の設置を義務づけるとともに,建築確認申請時にエレベーターの保守点検マニュアルの添付を義務づける旨の法令の改正が行われ,平成24年10月には,消費者庁に消費者安全調査委員会(消費者事故調)が設置され,本件事故についても調査対象とされることとなり,平成28年8月には,同委員会が,本件事故の原因について考察し,再発防止策を提言する内容の報告書を公表した。また,国土交通省は,平成28年2月,「昇降機の適切な維持管理に関する指針」及び「エレベーター保守・点検業務標準契約書」を公表し,その周知と普及に努めているとのことである。
エレベーターの安全確保の取組みに終わりはなく,このようなエレベーター事故の再発防止等に向けた取組みも,いまだ万全とはいえないものと考えられるが,一歩一歩前進してきているものと評価することができ,当裁判所は,原告らがこれまで果たしてきた役割に敬意を表するものである。
他方で,被告らは,一つの地方自治体,一つのエレベーター関連会社(その中には,被告シンドラーエレベータ株式会社のように我が国の事業から撤退している者や,被告株式会社日本電力サービスのようにエレベーター事業から撤退している者も含まれる。)にすぎず,全国のエレベーター事故の抑止という観点から見ると,果たすことのできる役割は限定的であるといわざるを得ない。
以上のような観点から,当裁判所は,原告らが本件訴訟の追行を含むこれまでの取組みに要した経費等を被告らが補償するとともに,原告らが今後エレベーターの安全確保のための取組みを継続していくための基金を設立し,これに対して,被告らが金銭的な拠出をするという枠組みにより,エレベーター事故の再発防止の取組みを加速させていくことが,本件の解決として最良であると考える。そこで,当裁判所は,被告らが原告に対して相当額の和解金の支払をすることと,原告はこの和解金の一部を拠出して基金を設立し,取組みを継続していくことを提案するものである。
4 終わりに
本件事故から11年以上が経過する中で,本件事故を風化させず,市川大輔の死を無駄にしないためには,本件の当事者のみならず,全国のエレベーターの製造業者,保守業者,所有者,管理者等のエレベータ一に関係するすベての人々が戸開走行事故の危険性を再認識し,本件事故の教訓を踏まえて,それぞれの立場から,互いに協力し合って,エレベーターの安全確保への取組みを進めていくことが求められる。このような見地から,当裁判所は,以上に述べた和解の大枠を提案するものである。各当事者におかれては,当裁判所の提案の趣旨を踏まえ,大局的な見地からこれを受け入れ,細部の詰めの協議を行うことを期待するものである。
覚 書
原告と被告港区は,本日,東京地方裁判所平成20年(ワ)第36371号損害賠償請求事件について成立した和解に付随して,本覚書を締結する。
被告港区は,原告に対し,下記事項を確約する。
記
1 被告港区が所有又は管理するエレベーターの安全確保
⑴ 既設のエレベーターについて,製造業者及び保守管理業者の協力を得て,戸開走行保護装置の設置に関する検討を行い,確実に戸開走行保護装置を設置すること。
⑵ 製造業者が作成した保守点検マニュアル及び安全な運行に係る最新の技術情報並びに不具合に関する情報を取得・保存し,これらを確実に保守管理業者に渡すこと。
⑶ 保守管理業者の選定・委託に当たって,製造業者が作成した保守点検マニュアル及び安全な運行に係る最新の技術情報を保有していることを求め,エレベーターの安全を確保することのできる適切な保守管理業者を選定し委託すること。
⑷ 国土交通省が平成28年2月19日に公表した「昇降機の適切な維持管理に関する指針」及び「エレベーター保守・点検業務標準契約書」に基づき,既設のものを含む全てのエレベーターにおいて,保守点検が,製造業者が作成した保守点検マニュアル及び安全な運行に係る最新の技術情報の中で具体的に定められた点検項目や点検内容,点検周期に沿って行われるようにすること。
⑸ チェックすべきポイント(プランジャーの残ストローク,ブレーキライニングの摩耗量等)については,保守管理業者に写真や実測データ等をもって保守点検結果の報告をさせ,確認し,必要な措置をとること。
⑹ 不具合対応後に作成される作業報告書等には,保守点検員が取得した不具合情報について,保守管理業者に写真や実測データ等,不具合の状態が分かるような記録を添付させ,確認し,必要な措置をとること。
⑺ 保守点検員が不具合情報を取得し,修理等の作業を行った場合は,保守管理業者にその不具合情報についての判断内容・判断理由及び処置内容等を正確かつ詳細に作業報告書等に記録させ,確認し,必要な措置をとること。
⑻ 事故発生の通報受信時の確認項目及び初動態勢,救助体制等を整備し,毎年通報・救助訓練等を実施すること。また,手動ハンドルやジャッキ等の救助装置の使用方法及び保管場所を定めたマニュアル等の整備を保守業者や製造業者に求めること。
2 定期的な被告港区ホームページや広報紙による啓発記事等の掲載
事故の教訓や再発防止及び安全確保のための情報,事故防止に向けた考え方や安全確保のための努力の必要性(エレベーターの所有者及び管理者は,エレベーターを常時適法な状態に維持するように努めなければならず,既設のエレベーターへの戸開走行保護装置及び地震時管制運転装置の設置等,保守点検マニュアル及び安全な運行に係る最新の技術情報並びに不具合に関する情報の取得・保存,これらを確実に保守管理業者に渡すこと,緊急時の通報訓練の実施等,エレベーターの維持管理に主体的に関わることが必要であること等)に係る啓発記事等を,継続的に区のホームページや広報紙に掲載し,周知することにより,エレベーターの戸開走行の危険性について広く理解を求め,対策の重要性を伝えること。
3 区有施設における会場の提供
被告港区が設置し管理する港区立障害保健福祉センターにて原告が毎年本件事故の被害者の命日である6月3日に行っている献花式や本件事故を風化させないためのエレベーター事故の再発防止に係る講演会等を行う場合には,区有施設の会場を確保して提供すること。
4 エレベーター事故の再発防止に係る講演会等の共催
被告港区として,本件事故の被害者の命日である6月3日を安全の日とすること。また,この安全の日が区民全体が安全を考える日になるように取り組むこと。
本件事故を風化させないために,毎年6月3日にエレベーター事故の再発防止に係る講演会等を原告と被告港区が共催することを前向きに検討すること。
5 区有施設における安全総点検の実施及び区職員の意識徹底
⑴ このような事故を二度と起こすことが無いよう,毎年全ての区有施設の安全総点検を行うこと。
⑵ 区有施設の安全管理講習会や危機管理に関する研修を毎年実施し,事故の教訓を風化させることなく,全職員が安全を最優先する意識を徹底させること。
6 原告の被告港区事業への参画
被告港区が行う区有施設安全管理講習会や危機管理に関する職員研修等において,原告によるエレベーター事故防止に係る講演を組み込むよう調整すること。
7 エレベーターの安全対策に係る被告港区の取組,エレベーターや危機管理に関する情報の提供
原告が主催するエレベーターの安全対策に係る学習会等に被告港区の職員を派遣し,エレベーターの安全対策に係る被告港区の取組,エレベーターや危機管理に関する経験・知識を生かした情報などを提供すること。
平成29年11月24日
住所 略
原 告 市 川 正 子
住所 略
被 告 港 区
同代表者区長 武 井 雅 昭
和解成立に関する原告の声明
平成29年11月24日
シンドラーエレベーター事故被害事件
原告(被害者遺族) 市 川 正 子
原 告 弁 護 団
1 はじめに
平成18年6月3日、自宅があるマンションのエレベーターから降りようとしたところ、エレベーターの扉が開いたまま突然上昇し、エレベーターの床と乗降口の枠の間に挟まれた市川大輔が当時16歳の貴重な生命を奪われた。
遺族らが、メーカーであるシンドラー社の製造内容に問題があり、保守管理を担当したシンドラー社、日本電力サービス社及びSEC社並びに所有者の港区及び管理していた港区住宅公社に連帯責任があるとして平成20年12月に損害賠償を求めて提訴した事件(平成20年(ワ)第36371号)につき、本日、東京地方裁判所(民事第6部合議A係)において、和解が成立した。
2 和解内容
和解内容は、①被告らは、何の落ち度もなく、わずか16歳でこの世を去ることになった市川大輔とその遺族である原告の無念の思いを重く受け止め、本件エレベーターにおいて戸開走行事故が発生し、これによって市川大輔が亡くなったことについて、深く遺憾の意を表する、②被告らは、本件事故を教訓とし、戸開走行事故はひとたび発生すると利用者が挟まれ生命身体に危険を及ぼす重大事故につながるおそれがあることに改めて思いを致すとともに、それぞれが置かれた立場から、その社会的・道義的責任を果たすべく、互いに協力し合って、不断の意思をもってエレベーター事故の再発防止のために全力を挙げて取り組んでいくことを確約する、③被告シンドラー社は、日本国内の自社製エレベーターの安全を維持するため、事業を引き継いだオーチス・エレベータサービス株式会社に対し必要な情報ないしサービスの提供等を履行する、④被告SEC社は、法令の周知徹底、適切な保守管理の実現のための諸対応、既設エレベーターへの戸開走行保護装置の設置促進のための諸対応や事故発生の通報受信時のための諸対応を履行する、⑤被告港区は、法令の周知徹底に加え、事故の再発防止策に係る取組みについて原告との連携の強化を検討する、⑥被告港区住宅公社を除く被告らは、原告に対し、相当額の和解金を支払う(その一部で基金を構成)などを明記している。また、原告と被告港区は和解に付随して再発防止策や原告との連携等についての覚書を締結した。
3 和解の意義
本件は、事故発生から11年、提訴からほぼ9年を経過し、訴訟が長期化していること、判決は提出された限られた証拠を踏まえ必要な証明がされているかなどといった訴訟上の技術的な内容にならざるを得ないことなどを踏まえて、和解に至ったものである。
その内容は、解散した被告港区住宅公社を除く被告らが相当額の和解金を支払うことに加えて、被告らの遺憾の意の表明、被告らの社会的・道義的責任に基づく再発防止への取組みの確約、和解金の一部で基金を構成することによる原告らの再発防止活動の支援など、判決では得られない成果を、約8か月間にわたる多数回の交渉で合意することができた。
なお、本件事故と原告ら被害者と支援者の運動を一つの契機に、消費者の命と安全を守る消費者のための行政機関としての消費者庁(2009年)や、今までなかった消費者事故の背景要因まで調査解明する消費者安全調査委員会(2012年)が創設された。
4 原告の思い
息子を失ってからの私たち遺族にとってのこの11年は、どこからも謝罪がなく、エレベーター業界関係者は、みんながしがらみがあるから言えないと口をつぐみ、事故の詳しい説明もなく、疎外された状況に置かれ続けた時間でした。
このような状況の中、私たち遺族は、支援者と共に、なぜ、16歳の息子の命がいつものように使っていたエレベーターで突然奪われたのか、なぜ防ぐことができなかったのか、何が事故原因なのか、徹底的に調査解明し、事故の責任を明らかにし、再発防止に事故の教訓を活かしていただきたいと46万人の署名を警察庁、東京地方検察庁、国土交通省に提出し、消費者庁の消費者安全調査委員会にもエレベーターの安全について訴え続けてきました。
また、事故から3年後の平成21年7月に、東京地方検察庁が業務上過失致死罪でシンドラー社の2名とSEC社の3名を起訴し、刑事裁判でさまざまな証拠、情報、資料、写真等が提出されたことによって、やっとこの戸開走行事故の背景要因が見え、民事裁判での証拠提出に繋がることができました。
これら事故の複合的背景要因が明らかになる中で、息子の命は助けられたはずの命、戸開走行事故はエレベーターを提供する側、メーカー・保守管理業者・所有者・管理者の技術・情報等の共有、安全協力がされていない状況によって起きたことがわかったのです。
しかし、ブレーキの異常が発生した時期を証明するための実測データや写真等の証拠が被告らによって残されていませんでした。このことが裁判をさらに長引かせ、被告たちの事故の責任の押し付け合いが、遺族をさらに苦しめる状況を作りました。なぜ、遺族が、このように長い時間苦しまなければならないのか、悔しい思いの中で、裁判とは誰のためのものなのかと自問自答する毎日でもありました。
私たち遺族の被告たちに対する、息子を返してとの思い、許さないとの思いは、今も変わりません。息子の命を安全に生かすことが息子の生きてきた証だ、との思いも変わりません。息子の無念の思い、悔しさを考えると、親として、エレベーターの安全に生かしてとの思いは譲れないのです。その思いの中で、和解という道を選びました。
事故から11年、私たち遺族が民事裁判を起こしてからもうすぐ9年です。私たち遺族にとって、この和解は終点ではなく、エレベーターの安全・再発防止のために16歳の息子の命を生かすための一歩だと思っています。二度と私たち遺族のように長い時間苦しむことがないような法的縛りのある体制が作られることを望みます。これらのことを叶えるには、判決ではどうしても得ることができず、判決の限界があるのだと感じます。
この和解条項・覚書の遺族の思いの一部、息子の命と遺族の思いに被告たちがやっと向き合い、再発防止・安全協力を、約束として実行することが、16歳の息子の命を生かすことに繋がると、私たち遺族は信じ、これからも訴えていきます。
シンドラー社製エレベーター死亡事件については多数の報道をしていただいており、すでにご覧になったかもしれませんが、次の報道もご覧いただければ幸いです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171124/k10011234691000.html